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2012年03月11日

あれから一年…

もうあの日から一年が経つんですね…
あっと言う間だった様な、そうでもない様な…

ちょうど一年前のあの日のあの時間は、午前中に次男の卒園式が催され、午後は父兄達有志による謝恩会の最中でした。
その前の日に気温・釣果共に極寒の亀山ダムを過ごしていた事もあって、謝恩会には参加せず編集の準備的な作業をしていた時だった記憶があります。
我が家は築30年を超える14階建てマンションの13階。
まあとにかく激しい揺れに襲われましたね。
次々に食器棚から飛び出てくる皿やグラス、抑えようとしたら既に落下していたテレビ、半分以上が転げ落ちた仕事部屋のmoniDVテープ、壁から剥がれ落ちたルアーラック…
揺れが治まってからの自宅の中は見た事も無い様な景色に変貌し、なんとも言えない絶望感を感じたのを覚えています。

その後は、繋がらない携帯電話にやきもきしながら階段でマンションの1階まで駆け下り、長男の小学校や実家の両親の様子を見に行ったり、聞かされていなかった謝恩会会場を探して走り回ったり…
とにかく家族の安否を確認する事に必死だった様に思います。
そんな最中に屋外で体験した大きな余震は、まさに地獄絵図の様な雰囲気でした。
水面の様に波打つ道路、小さな木々の様に左右に揺れる電柱、生き物の様に蠢くビル、パニック状態で建物から飛び出してくる人々…
あの時の事を思い出すと今でも恐ろしくなってしまいます。

あの地震があった事で、予定していた多くの仕事を失ってしまっただけでなく、心の中に大きな恐怖心が芽生えてしまった様で、いまだに小さな揺れを感じただけで心臓が激しく動き、時には呼吸困難の一歩手前の様な状況に陥る事も…

とは言え、東京に住んでいる私が失ったものは、割れて使えなくなった数十枚の食器と予定していた一部の仕事だけ…
怪我という怪我もなく身内も全員無事でした。
仕事や住む場所だけでなく大切な家族すらも失ってしまった被災地の方々に比べれば、軽傷も軽傷、かすり傷にも満たない被害でしょう。
また、原発事故という人為的な災害に、住む家や仕事を奪われた人達と比べたら、心の傷なんてホント小さなササクレみたいなものかもしれませんね。

この一年間、とにかく今の自分にできる活動をと、個人的な寄付や義援金の募集といった活動を行ってきましたが、思う様な結果を導き出せていない…そんな気がしてなりません。
行動を起こした事で満足している様な部分が多少なりともあるのかもしれませんが、とにかく自分自身が生きて行く事に必死だった様な気がします。
考えていた被災地でのボランティア活動も、結局のところ、なに一つできませんでした…

これからの一年、自分自身なにができるのかはまだ分かりませんが、少なからず何等かの活動は続けて行きたいと考えています。
少なくとも仕事はあるし、多少なりとも趣味に費やせる時間やお金もあるし、なによりも丈夫な身体と神から授かった命がありますからね。
事の大小とか金額の多少に係わらず、そうした気持ちを持ち続ける事が大切なんじゃないかと、そんなふうに思う2012年の3月11日になりました。
posted by ITO-CHAN at 23:16| Comment(0) | 日記
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